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勝山記 61-62

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勝山記 61-62

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No.9331 勝山記 61-62

投稿日:2025年11月27日23時20分

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投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:45 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/50
十四 壬寅 此季ハ大風度々吹サクモウ悪クシテ
      飢渇也、人民多ク病死、大水出ル事
      無限、光長寺〔沼津市岡ノ宮〕大坊此年アク
十五 癸卯 此季売買高シテ、世間ツマル事
      無限、疫病多クハヤルナリ
十六 甲辰 此年立正寺ニテ、尼崎御聖教
      異本書候、又私自願御影造立
十七 乙巳 春ツマル事無限、但シ売買吉、
      光長寺大坊宅玉フ、同多宝造立
十八 丙午 此年売買吉、但シ疫病ハヤリ
      千死一生也、大田道灌入道相州

  カス屋ノ金造寺ニテ、大夫殿ヨリ被打ル
  八月四日風�$「間半分代ノ中也、光長寺ノ
  別當小石澤ニテ七日行道アリ、乃至
  栗原ニテ行道アリ、説法ノ願主立正寺

十九 丁未 此年ハ賣買吉、疫病ニテ人多
         死事大半ニ過タリ、聖護院甲州
   武州へ下、関東乃至奥州マテ下リ玉フ
   開元
〇長享元 戊申
二 此年ハ大雨シキリニノ栗比損ナリ
  申年疫病ハヤリ、人民死事無限
三 己トリ 此年世間ツマル事不可及言説
   大麦吉、疫病ハヤル人民死ス甲斐国へ
   京ヨリ白キタカヲ進物也、三年テ開元

〇延徳元二 開元 庚戌
   京ニハ正京二年ト延徳ヲカエ玉フナリ
   此年ハ多日テリ、後ニハ大風大雨フリテ
   作モウ皆実モナシ、大飢饉無申計
画像管理者勝山記からコメント

十四 壬寅 この季は大風がたびたび吹き、作物が悪くなり
      飢え渇いた。人民は多く病死し、大水が出ること
      限りなく、光長寺〔沼津市岡ノ宮〕の大坊が
      この年に荒廃した
十五 癸卯 この季、売買が高く、世間が行き詰まること
      限りなく、疫病が多く流行した
十六 甲辰 この年、立正寺にて尼崎の御聖教を
      異本として書き写した
      また、私の願いとして御影を造立した
十七 乙巳 春は行き詰まること限りなかった
      ただし売買は良く、
      光長寺の大坊に住され、同じく多宝塔を造立した
十八 丙午 この年、売買は良かった
      ただし疫病が流行し
      千に一つの生残りであった
      大田道灌入道、相州
  鎌屋の金造寺にて、大夫殿より討たれた
  八月四日、風が吹き、世間は半分の代であった
  光長寺の別当が小石澤にて七日行道を行い
  さらに栗原にて行道を行った
  説法の願主は立正寺である

十九 丁未 この年は売買が良かったが
         疫病により人が多く
         死ぬことが大半を占めた
   聖護院が甲州から
   武州へ下り、関東から奥州まで
   下られた
   開元
〇長享元 戊申
二 この年は大雨がしきりに降り、栗・稗が損なわれた
  申の年に疫病が流行し、人民の死が限りなかった
三 己酉 この年、世間が行き詰まること
   言葉では言い尽くせない
   大麦は良かった
   疫病が流行し、人民が死に
   甲斐国へ京より白い鷹が進物された
   三年にて開元
〇延徳元二 開元 庚戌
   京では正京二年から延徳へと
   改元された
   この年は晴天が多く
   後には大風大雨が降り
   作物はすべて実らず
   大飢饉は言い表せぬほどであった
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