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勝山記 73-74

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勝山記 73-74

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No.9338 勝山記 73-74

投稿日:2025年11月27日23時21分

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投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:49 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/50
 都留郡ノ人数マクルナリ、小山田弥太郎との
 打死、同心ノ打死無限然ハ工藤殿、小山田
 平三殿ニラ山へ御出仕候、小笠ノ弥次郎
                   死

〇永正六年 己ノミ
 此年ハ賣買高シ、秋作ハ吉、秋ヨリ
 當郡乱入以ノ外、殊ニ河口ヲ焼クサレモ
 国勢引ルヽナリ、極月ニ下ノ険断殿
 打ルヽ也、吉田ノ要書記打タルヽナリ
 此年當御室ノ上フキヒワタニテフカルヽ也
 又極月十六日、須走蓮長寺日壽御死去

〇永正七季 庚辰午
 此年迄テ乱不及申ニ、去年極月廿五日ヨリ
 大雪降候、深サ四尺フル、鹿カ死事言ニ
 不及、此春中、国中〔信虎〕都留郡〔小山田〕ト御和ホク

 落付、光長寺ノ大坊京都ヨリ三月十二日
 御下着有之、此郡ノ大麦小麦吉、此年
 クワンレイ越後ニテ長尾ノ六郎〔為景〕ニ打タレ玉フ也

○永正八年 辛未
 此年正月地下侍共ニ喜事無限、浮世ニ
 コウヒハヤリ人民死事無限、然間彼ノ
 コウヒノ鳥ヲツクリ送候、一日ヤミ候テ頓死
 至候、諸人契約ヲ至候テ酒ヲノム事
 無限、此年長尾伊賢〔号伊玄景春〕此郡ヲ武州ヘ
 トヲリ威勢ヲ取ラルヽ也、此八月ヲウワラ〔大原〕ヘ
 天空共ヨセテ、三時ノ聲ヲ作ル也、村ノ人々ニ
 皆舌スクミテ物言ヱス、又富士山カマ岩
 モユルナリ、此年大風二、三度吹テ十分
 富貴四分、三分ニ成候、国々ノ大水
 八月出テ、耕作損事無限、言語道断也、
画像管理者勝山記からコメント

 都留郡の人数が巻き返し、小山田弥太郎との
 打ち死に、同心の打ち死にが限りなかった。しかるに工藤殿、
 小山田平三殿が山へ出仕された。小笠の弥次郎
                   死去

〇永正六年 己未
 この年は売買が高く、秋作は良かった。秋より
 当郡への乱入がこの上なく、ことに河口が焼かれたが
 国勢は引いた。極月に下の険断殿が
 討たれ、吉田の要書記も討たれた。
 この年、当御室の上葺きが檜皮で施された。
 また極月十六日、須走蓮長寺の日寿が死去された。

〇永正七季 庚辰午
 この年まで乱は言うに及ばず、去年極月二十五日より
 大雪が降り、深さ四尺に及んだ。鹿が死ぬことは
 言うまでもない。この春中、国中〔信虎〕と
 都留郡〔小山田〕が和睦し、
 落ち着いた。光長寺の大坊が京都より
 三月十二日に下着された。この郡の
 大麦・小麦は良かった。この年、
 関東管領が越後にて長尾六郎〔為景〕に
 討たれた。

〇永正八年 辛未
 この年正月、地下侍どもに喜び事が限りなかった。浮世に
 瘡疹が流行し、人民が死ぬことが限りなかった。しかるに
 その瘡疹の鳥を作って送り、
 一日で病み、たちまち死に至った。
 人々は契約を結び、酒を飲むことが
 限りなかった。この年、長尾伊賢〔号・伊玄景春〕が
 この郡を武州へ通り、威勢を取られた。
 この八月、大原へ
 天空を寄せて、三時の声を作った。村の人々は
 皆、舌をすくめて物言えなかった。
 また富士山の釜岩が
 燃えた。この年、大風が二、三度吹き、十分の
 富貴が四分、三分となった。国々で大水が
 八月に出て、耕作の損ないは限りなく、
 言語道断であった。
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