富士五湖TV

富士山・富士五湖なんかの投稿画像

勝山記 77-78

割烹 七草
富士北麓名物「富士まぶし」あります。

by Fujigoko.TV

ホーム / 投稿画像リスト / 勝山記 77-78
勝山記 77-78

勝山記

最新の投稿画像集へ

No.9340 勝山記 77-78

投稿日:2025年11月27日23時22分

表示回数:43

投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:50 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/50
 馬六十九匹、人ハ百余人、関所ハ大坊
 カラクラセ給テスクスクト透ナリ

〇永正十一季 甲戌
 此年賣買悉ヤソシ、米ハ二升五合
 大豆五升粟同小豆ハ三升、稗ハ八升
 賣買ハ自在ナレモ銭ヲエル程ニ代ニツマル、
 諸事ヤソシ、世間アタヽカナル事申不及
 霜月極月雪不降冬中一、二度フレモ
 一寸、二寸ヨリ厚ハフラス、此年関東ノ合センニ
 乗リ房サ〔上杉憲房〕極月打死ハ虚説ナリ

〇永正十二年 乙亥
 此年正月閏月有之、此年迄モ賣買
 去年ノことく屋ス志、銭ヲエル事未止、他國ハ
 代ツカイヨシ、此年當国大井殿〔信達、椿城〕屋形〔信虎〕トノ
 合戦十月十七日申尅ナリ、屋形方大勢

 ナリト云ヘモ彼ノ城ノ廻リヲ不被知間、皆深田ニ
 馬ヲ乗入テ無出打死畢ヌ、其ノ人数小山田
 大和守衛門助殿、尾曽殿、飯實殿
 其ノ外随分面々様、二十崎斗、是大将分
 方々也、其ノ余ハ一、二百人打死畢、其後
 駿河国ヨリ、甲州ヱノ口々ヲ塞ルヽナリ
 重ノ調儀可モ有之更ニ不見候、此年ハ十月
 十二日ノ夜ヨリ雪フリ、大雨ト雪ト同心ニ
 降ルニ依テ大地事外ニ泳リテ、芋モホリ
 ヱス菜ナントモ一本モ取ル間モ無シ、サシ置ニ
 依テナモ徒ラニスツル芋モ如此至候間、中々
 言語道断飢饉ト成也、地下ノワヒ事無シ
 申斗、此年ハ耕作田畠栗稗惣テ造ル
 程ノ物ハ何モ悪シキンス、サムキ事前々ニモ
 過タリ、駿河アサイナ〔朝比奈〕和泉殿此年ノ十月
 病死畢、此年岡大坊駿河国府中ニ
 弘通所ヲ御建立有之、名ヲ経王院ト
画像管理者勝山記からコメント

 馬六十九匹、人は百余人、関所は大坊が
 からくも通させ、すらすらと通過した

〇永正十一季 甲戌
 この年、売買はことごとく安く、米は二升五合、
 大豆五升、粟同じく、小豆は三升、稗は八升であった
 売買は自在であったが、銭を得るほどに
 代が行き詰まった。諸事は安く、世間は
 暖かいこと言うに及ばず
 霜月・極月に雪は降らず、冬中一、二度降っても
 一寸、二寸より厚くは降らなかった
 この年、関東の合戦に乗じ、房佐〔上杉憲房〕が
 極月に討ち死にしたというのは虚説であった

〇永正十二年 乙亥
 この年、正月に閏月があり、この年まで
 売買は去年のごとく安く、銭を得ることは
 いまだ止まず、他国は代使いが良かった
 この年、当国の大井殿〔信達・椿城〕と屋形〔信虎〕との
 合戦が十月十七日、申の刻にあった。屋形方は
 大勢であったが、その城の周りを知らず、
 皆、深田に馬を乗り入れて出られず、討ち死にした
 その人数は小山田大和守衛門助殿、尾曽殿、飯實殿、
 そのほか随分の面々、二十余騎で、これが大将分であった
 その余は一、二百人が討ち死にした
 その後、駿河国より甲州への口々が塞がれた
 重ねての調儀があるかとも思われたが、さらに見えなかった
 この年は十月十二日の夜より雪が降り、
 大雨と雪が同時に降ったため、大地ははなはだ
 緩み、芋も掘れず、菜なども一本も
 取る間もなかった。差し置くため、
 やむなく捨てる芋もこのように至り、
 まことに言語道断の飢饉となった
 地下のわび事は申すまでもない
 この年は耕作の田畑、栗・稗など、
 作るほどの物は何も悪く、
 寒さは前々にも過ぎた
 駿河の朝比奈和泉殿は、この年の十月に
 病死された
 この年、岡の大坊が駿河国府中に
 弘通所を建立され、名を経王院といった
ホーム / 投稿画像リスト / 勝山記 77-78

本画像は富士五湖.TV以外での使用に制限があります。
画像使用についてはお問い合わせください。