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勝山記 81-82

四季楽園
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No.9342 勝山記 81-82

投稿日:2025年11月27日23時22分

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投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:51 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/50
 至テ道者十三人忽ニ死ス、其ノ内ニ内
 院ヨリ大ナル熊出テ、道者ヲ三食殺ス
 是ハ熊ニテハ無シ大鬼神ト見ル人有之
 余リ不思議サニ書付テ物語ノ為ニ置申候、
 此年ノ五月駿河ト甲州都留郡ト和睦也
 調法者ハ内野渡邊式部丞、他国ノ
 判者人ハ永池九良左衛門方同福
 嶋道宗入道云々、此年ノ七月十三日大
 風吹テ作毛悉ク損ス、諸作リ悪シ
 其ノ年ノ八月廿六日夜大霜フリテ明ル
 日マテキエス、世間ツマル事無限、秋ノ賣リ
 買ハ、米ハ六十、七十文也、當国山里ノ米
 荷ヲ、山家へ不通、米ノ賣買此郡
 一粒モ無之、耕サク何ニモ実不入ワラヒヲ
 九月マテホルナリ惣テ此年ホリトヲス、明ル
 五月マテホルナリ

〇永正十六年己卯
 此年モ銭ヲヱルナリ、此年惣テ一国二国ナラス
 日本国キ丶ンシテ諸国及餓死也
 当国ノ内ウラノ兵庫殿(今井兵庫助信是浦城)屋形様ト
 取合玉フヘキニ定リ、今日ノ明日ノト卯
 月マテモ不息、賣買ハ、米百文粟ハ
 八十大豆七十モミハ六十五文也、其ノ余ハ
 更ニ賣カイ一粒モ無之、就中雑事
 一本モ無之冬ヨリ富士へ往復〆イモノ
 カラヲ買越テタヘ候、此年ハ秋作リ吉シ
 粟ノウリカイ四升、大豆ハ四升、小豆三升
 惣テ国中冨貴スル事無限、甲州府中ニ
 一国大人様ヲ集リ居給候、上様モ極
 月ニ移リ御座候、御ミタイ様モ極月御移、
 此年ノ霜月内野寺ヲ引テ上行寺御立候

画像管理者勝山記からコメント

 ついに道者十三人が忽然と死んだ。そのうち、内院より
 大きな熊が出て、道者を三人食い殺した。
 これは熊ではなく大鬼神であると見る人もあった。
 あまりの不思議さに書き付け、物語のために残した。
 この年の五月、駿河と甲州都留郡は和睦した。
 調法者は内野渡辺式部丞、他国の
 判者人は永池九良左衛門方、同じく
 福嶋道宗入道という。
 この年七月十三日、大風が吹いて作物はことごとく損じ、
 諸作は悪かった。
 その年八月二十六日の夜、大霜が降り、明くる
 日まで消えなかった。世間は行き詰まること限りなく、
 秋の売買は、米は六十・七十文であった。
 当国山里の米荷は山家へ通らず、米の売買はこの郡に
 一粒も無かった。耕作はいずれも実らず、藁を
 九月まで掘り、総じてこの年は掘り通し、明くる
 五月まで掘り続けた。

〇永正十六年 己卯
 この年も銭を得にくく、この年は総じて一国二国に限らず
 日本国が困窮し、諸国で餓死に及んだ。
 当国では内浦の兵庫殿〔今井兵庫助信是・浦城〕と
 屋形様が取合うことに定まり、今日か明日かと卯
 月までも止まず続いた。売買は、米は百文、粟は
 八十文、大豆は七十文、籾は六十五文であった。
 そのほかは、さらに売買は一粒も無く、とりわけ雑事は
 一つも無かった。冬より富士へ往復し、芋の殻を
 買い越して耐えた。
 この年は秋作が良く、
 粟の売買は四升、大豆は四升、小豆は三升であった。
 総じて国中は富貴であること限りなく、甲州府中に
 一国の大人様が集まって居られた。上様も極
 月に移られ、御身代様も極月に移られた。
 この年の霜月、内野寺を引いて上行寺が建立された。
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