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勝山記 85-86

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勝山記 85-86

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No.9344 勝山記 85-86

投稿日:2025年11月27日23時22分

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投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:52 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/50
 御下候、又河内へ八月廿八日惣勢立テ
 ヤリツキ其ノ日有之冨士勢負玉フ也
 関東モ乗リ房サ(上杉憲房)ト河越殿(上杉朝興)取合不息々
 向陳ハ悉ク大夫ノ手マクルナリ、乗リ舟
 多ク取ラルヽナリ、此年ノ七月十五日ニ
 武田ノ八郎殿駿河ヨリ甲州へ御帰国
 有之當国屋形様ノ御意テ御帰候

〇大永二年 壬午
 此年賣買ヤソシ、此年大石新七郎
 玄番ヲ打トテ打タルヽ、玄番モ左衛門モ
 打ルヽ也、此年當国屋形様身延ニテ
 御授法、御供ノ人数皆々授法云云、此ノトシ
 光長寺大原ニ御座候テ、本寺ノ所化ヲ
 ヨヒ参テ御学文有之、此年ハ作毛事ノ
 外悪シ就中アワ悪シ、何ニテモ吉物ハ無シ

 武田殿〔信虎〕富士参詣有之八要〔八葉、頂上一周〕メサル、也
             
〇大永三年 癸未
 此年大原ノ庄惣テ都留郡大飢饉
 無限、米ハ八十文賣買也、此年ノ春中ニ
 大原代官和泉殿新造皆作給ナリ、
 此郡ハ春ヨリ富士へ行テ続ク命ヲ、夏ハ
 大麦吉、四升賣カウナリ、此年少童
 モラヤム、亦ハイナスリヲヤミ候、大概ハツル、也

〇大永四年 甲サル
 此年正月ヨリ陳立初テ、二月十一日国中
 勢一万八千人立テ、サルハシニ御陳ニテ日々ニ
 御ハタラキ候、ヲク三方へハタラキ、ヤイクサ
 アリ、此時分乗リ房サ〔上杉憲房〕ハ、八十里陳ヨセト
 承候、此年萬事共有之、小サルハシ(藤野町吉野)ト言
 処ニテ度々ノ合戦アリ、此夏末ニ立正寺ハ
画像管理者勝山記からコメント

 下られた。また河内へ八月二十八日、総勢を立てて
 攻め寄せ、その日に戦があり、富士勢は敗れた。
 関東でも乗房沙〔上杉憲房〕と河越殿〔上杉朝興〕の
 取合いが絶えず、向かう陣はことごとく
 大夫の手に巻かれた。乗り舟も
 多く取られた。この年七月十五日、
 武田の八郎殿が駿河より甲州へ帰国され、
 当国屋形様の御意によっての帰国であった。

〇大永二年 壬午
 この年、売買は安かった。この年、大石新七郎が
 玄番を討とうとして討たれ、玄番も左衛門も
 討たれた。この年、当国屋形様は身延にて
 授法を受けられ、御供の人数は皆授法を受けたという。
 この年、光長寺は大原に在され、本寺の所化を
 呼び集めて学問があった。この年は作物が
 ことのほか悪く、とりわけ粟が悪く、
 いずれも良い作物はなかった。

 武田殿〔信虎〕は富士参詣があり、八要〔八葉・頂上一周〕を
 なされた。

〇大永三年 癸未
 この年、大原の庄一帯および都留郡は
 大飢饉が限りなかった。米は八十文で売買された。
 この年春中に、大原代官の和泉殿が
 新造をすべて行われた。
 この郡では春より富士へ行き、命をつなぎ、
 夏は大麦が良く、四升で売買された。
 この年、少童も患い、また疱瘡を病む者があり、
 多くは倒れた。

〇大永四年 甲申
 この年、正月より陣立てが始まり、二月十一日、国中の
 勢一万八千人を立て、猿橋に陣を置き、日々
 働きがあった。奥三方へ働き、戦があった。
 この時分、乗房沙〔上杉憲房〕は
 八十里陣を寄せたと承った。
 この年、万事が起こり、小猿橋〔藤野町吉野〕という
 所にて度々合戦があった。この夏の末に立正寺は
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