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勝山記 87-88

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勝山記 87-88

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No.9345 勝山記 87-88

投稿日:2025年11月27日23時23分

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投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:52 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/50
 京都ヨリ、御学文メサレ候テ、御下候、

〇大永五季 乙酉
         此年某シ御本寺ヘ参詣候
 此年妙法寺建立、此年四月一日諏訪
 殿府中ヘ御入候テスマイ所望候間其ノ
 如望ノ、然間大喜無申計、此年三月廿五日ニ
 クワンレイノリ房御逝去与、當国新
 九郎御和睦候テ、銭千貫文當国
 府中ヘ進上被申候、駿河ト甲州ハ未タ
 和聞無シ、賣買ヨケレモ銭ニツマル事
 無限、此年武田殿ト新九郎殿ト合セン
 ヒマナシ、府中ハサルカク下ル、日々能御座候、
 未タツクイノ城ヲチス、當国ト官領又々
 和睦ナリ、此年米ハ九月迄二升二ハイ入也

〇大永六年 丙戌
 御屋形様在京メサル丶ト風聞ス、此年
 新九郎方〔北条氏綱〕ト當国屋形、和睦トハ申候ヘ共
 未タ和睦ナラス、京ヘハ御立ナシ、其ノ後チ
 七月晦日ニカコサカ〔籠坂〕ノフモト梨木タイラニテ
 合戦アリ、須走殿惣テ高田一族皆
 打死、クロ石入道並ニカツラ山ミシク殿
 打死、武田殿勝玉フ也、三嶋ノ高田マテモ
 ウチ死、屋形様ハサルカク〔猿楽〕呼ヒ下シ日々御座候、
 山中ノ御陳ハ未息々、其ノ月ノ廿四日マテ打立不絶

〇大永七季丁亥
 此年信州トモノ殿ニタノマレ給テ信州ヘ立玉フ
 彼ノ国一ニ成テトモ殿、行方ヲ不知ラ、其ノ後
 信州一国ノ殿々ノ和睦〆、トモ殿ヨリ武田
 殿ヘハ所領ヲ被進候ヲ、返サレ候、中津森ノ
 殿様(小山田信有)百ツホニ御家作リ玉フ、常在寺ノ

画像管理者勝山記からコメント

 京都より御学文を召され、御下向された。

〇大永五季 乙酉
         この年、某が御本寺へ参詣した。
 この年、妙法寺が建立された。この年四月一日、諏訪
 殿が府中へ入られ、住まいを所望されたので、その
 望みのとおりとなり、大いに喜びは言い尽くせなかった。
 この年三月二十五日、管領乗房が逝去された。
 当国では新九郎と和睦し、銭千貫文を当国
 府中へ進上された。駿河と甲州はいまだ
 和睦は無く、売買は良かったが銭に詰まることが
 限りなかった。この年、武田殿と新九郎殿との合戦は
 ひまなく続き、府中は猿楽が下り、日々よく行われた。
 いまだ月井の城は落ちず、当国と官領はまた
 和睦した。この年、米は九月まで二升二杯入りであった。

〇大永六年 丙戌
 御屋形様が在京されるという風聞があった。この年、
 新九郎方〔北条氏綱〕と当国屋形とは、和睦と
 言われたが、いまだ和睦には至らず、京へは
 立たれなかった。その後、七月晦日に
 籠坂の麓、梨木平にて合戦があり、須走殿はじめ
 高田一族は皆討ち死にし、黒石入道ならびに
 桂山三宿殿も討ち死にした。武田殿が勝たれ、
 三嶋の高田までも討ち死にした。屋形様は
 猿楽を呼び下し、日々御座された。
 山中の御陣はなおやまず、その月の二十四日まで
 打ち立てが絶えなかった。

〇大永七季 丁亥
 この年、信州の伴殿に頼まれ、信州へ立たれた。
 その国が一つになり、伴殿は行方知れずとなった。
 その後、信州一国の殿々は和睦し、伴殿より
 武田殿へ進められた所領は返された。
 中津森の殿様〔小山田信有〕は百坪に
 屋敷を作られた。常在寺の
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