富士五湖TV

富士山・富士五湖なんかの投稿画像

勝山記 93-94

割烹 長浜旅館
やすらぎとくつろぎ、心をこめた懐石料理でおもてなし

by Fujigoko.TV

ホーム / 投稿画像リスト / 勝山記 93-94
勝山記 93-94

勝山記

最新の投稿画像集へ

No.9348 勝山記 93-94

投稿日:2025年11月27日23時23分

表示回数:42

投稿者:冨士御室浅間神社 場所: 作成日:2015年12月16日16:54 勝山記
作品データ:Canon-Canon-PowerShot-G1-X / 15.1mm(35mm:) / F5.6 S1/50
 御所炎上、御前ノカウシモ焼ケ候、此年ノ
 春ハ弓ヲケイコスル事無限、然間米蔵
 橋シ此年ノ三月打申候、此年ノ卯月
 廿三日ニヤツボサカ〔八坪坂〕ニテ、越中殿〔小山田〕ト氏縄御〔北条氏綱〕カツ
 セン是アリ打劣ケテ、吉田衆打死至候、
 此年夏世ノ中吉、六月米ハ二升五合
 大豆五升、小豆三升大麦九升
 小麦三升賣買申候、此年七月
 八月ノ両月諸国ノ諸神ヲカシマ〔鹿島〕ヱ人々
 送リ申事無限、人々ノナヤム事数ヲ
 シラス、タイカイ死ルナリ、然ハ関東ヨリ河
 越殿〔上杉朝興〕ノ御重宝ニテ、乗リ房ノ上様ウハイ
 取リ御申候テ、武田殿ノ御前ニナヲシ御
 申候、此ノ年シ某シ本寺へ参詣申候テ
 明ル年ノ貳月マテ住山至候、此ノ年


 伊東へ参詣申候

〇享禄四年辛卯
 此ノ年ノ正月廿一日ニヲウ殿〔飯富〕栗原殿〔兵庫〕
 屋刑ヲサミシ奉テ府内ヲ引キ退ノキ
 ミタケヱ馬ヲ御入候、去間浦ノ信本モ
 御同心ニテ御座候、然ハ此人々信州ノ
 諏方殿ヲ雇ミ候テ府中ヘムカイメサレ候
 河原辺ニテ軍サアリ、浦衆打劣テ
 栗原兵庫殿、諏方殿打死ニ
 被レ食サ候、打取ル頭八百計ト云云、其ノ
 ママ信州ノ勢ハ皆ナ引上申候、此年万ニテ
 三河守殿打死ニ被レ食候、此ノ年ノ
画像管理者勝山記からコメント

 御所が炎上し、御前の格子も焼けた。この年の
 春は弓の稽古をすることが限りなかった。そのため米蔵
 橋がこの年三月に打たれた。この年卯月
 二十三日、八坪坂にて、越中殿〔小山田〕と氏縄御〔北条氏綱〕の
 合戦があり、打ち負けて吉田衆が討ち死にに至った。
 この年夏は世の中が良く、六月の米は二升五合、
 大豆は五升、小豆は三升、大麦は九升、
 小麦は三升で売買された。この年七月・
 八月の両月、諸国の諸神を鹿島へ人々が
 送り、悩む人々は数知れず、多くが死んだ。
 しかるに関東より河越殿〔上杉朝興〕の御重宝として、
 乗房の上様を奪い取り申したものを、武田殿の御前に
 直して差し出した。この年、某は本寺へ参詣し、
 明くる年の二月まで住山した。この年、
 伊東へ参詣した。

〇享禄四年 辛卯
 この年正月二十一日、飯富殿と栗原殿〔兵庫〕は
 屋形を寂しく奉じて府内を引き退き、
 三岳へ馬を入れた。その際、浦の信本も
 同心であった。しかるにこの人々は信州の
 諏方殿を雇い、府中へ向かわせた。
 河原辺にて軍勢があり、浦衆は打ち負け、
 栗原兵庫殿と諏方殿は討ち死にに
 遭った。打ち取られた首は八百ばかりという。
 そのまま信州の勢は皆引き上げた。この年、万にて
 三河守殿が討ち死にに遭った。この年の
ホーム / 投稿画像リスト / 勝山記 93-94

本画像は富士五湖.TV以外での使用に制限があります。
画像使用についてはお問い合わせください。